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2025年10月21日火曜日

大阪メトロのホームドア設置状況【鉄道】

記事公開日:2024年12月25日(水)
最終更新日:2025年10月21日(火)


大阪メトロ(旧大阪市営地下鉄)の可動式ホーム転落防止柵(ホームドア)の設置状況は以下の通り。


【御堂筋線】
2021年度に全駅完了(相互乗り入れ先の北大阪急行電鉄も全駅完了)
20駅

(江坂・東三国・新大阪・西中島南方・中津・梅田・淀屋橋・本町・心斎橋・なんば・大国町・動物園前・天王寺・昭和町・西田辺・長居・あびこ・新金岡・北花田・なかもず)
整備期間:2015年2月14日〜2022年3月5日(心斎橋駅・天王寺駅は2015年度、江坂駅・新大阪駅〜梅田駅・なかもず駅は2020年度、その他の駅は2021年度に運用開始)


【谷町線】
2025年度末までに全駅で運用開始予定
運用中15駅 / 全26駅 設置率:約57.7%

(太子橋今市・千林大宮・関目高殿・野江内代・都島・天神橋筋六丁目・中崎町・東梅田・南森町・天満橋・谷町四丁目・谷町六丁目・谷町九丁目・四天王寺前夕陽ヶ丘・天王寺)
2025年10月28日(火):守口駅運用開始予定
2025年11月中旬:大日駅運用開始予定
2025年11月下旬:阿倍野駅運用開始予定
2025年12月上旬:文の里駅運用開始予定
2025年12月中旬:田辺駅運用開始予定
整備期間:2020年2月1日〜(東梅田駅は2020年度に運用開始、その他の駅は2025年度末までに運用開始予定)


【四つ橋線】
2024年度に全駅完了
11駅

(西梅田・肥後橋・本町・四ツ橋・なんば・大国町・花園町・岸里・玉出・北加賀屋・住之江公園)
整備期間:2021年11月20日〜2025年3月22日(西梅田駅・大国町駅は2021年度、その他の駅は2024年度の運用開始)


【中央線】
2024年度に全駅完了(相互乗り入れ先の近畿日本鉄道けいはんな線は未整備だが、全駅に転落防止対策のホームセンサーを設置済み)
15駅

(夢洲・コスモスクエア・大阪港・朝潮橋・弁天町・九条・阿波座・本町・堺筋本町・谷町四丁目・森ノ宮・緑橋・深江橋・高井田・長田)
整備期間:2024年3月9日〜2025年1月19日(夢洲駅は開業時より整備)


【千日前線】
2014年度に全駅完了
14駅

(野田阪神・玉川・阿波座・西長堀・桜川・なんば・日本橋・谷町九丁目・鶴橋・今里・新深江・小路・北巽・南巽)
整備期間:2014年4月26日〜12月13日


【堺筋線】
2023年度に全駅完了(相互乗り入れ先の阪急電鉄京都線・千里線は整備計画はあるが、現時点では未整備)
10駅

(天神橋筋六丁目・扇町・南森町・北浜・堺筋本町・長堀橋・日本橋・恵美須町・動物園前・天下茶屋)
整備期間:2020年2月29日〜2023年3月5日(堺筋本町駅は2020年度、その他の駅は2023年度に運用開始)


【長堀鶴見緑地線】
2011年度に全駅完了
17駅

(大正・ドーム前千代崎・西長堀・西大橋・心斎橋・長堀橋・松屋町・谷町六丁目・玉造・森ノ宮・大阪ビジネスパーク・京橋・蒲生四丁目・今福鶴見・横堤・鶴見緑地・門真南)
整備期間:2010年7月7日〜2011年10月31日(門真南駅以外は2010年度、門真南駅は2011年度に運用開始)


【今里筋線】
2006年度に全駅完了
11駅

(井高野・瑞光四丁目・だいどう豊里・太子橋今市・清水・新森古市・関目成育・蒲生四丁目・鴫野・緑橋・今里)
整備期間:2006年12月24日(開業時より全駅で運用開始)


【ニュートラム(南港ポートタウン線)】
1981年度に全駅完了
10駅

(コスモスクエア・トレードセンター前・中ふ頭・ポートタウン西・ポートタウン東・フェリーターミナル・南港東・南港口・平林・住之江公園)
整備期間:1981年3月16日〜1997年12月18日(中ふ頭駅〜住之江公園駅は1981年3月16日の開業時より、トレードセンター前駅・コスモスクエア駅は1997年12月18日の延伸開業時より運用開始)


【全体】
運用中123駅 / 全134駅
設置率:約91.8%
全駅設置完了まであと11駅

*2025年1月19日(日)開業の中央線夢洲駅を含む。

2025年9月10日水曜日

信楽高原鐵道列車衝突事故から復旧直後の貴重な展望映像【動画紹介】

記事公開日:2025年09月07日(日)


今回ご紹介する動画は、1991年5月14日に発生し、42名の死者と600名以上(報道機関によってバラツキがある)の重軽傷者を出した信楽高原鐵道列車衝突事故(詳しくはこちら)から復旧直後に撮影された貴重な映像である(1992年撮影とあるが、運転再開が1991年の年末だったため復旧からそう遠くない時期に撮影されたと思われる)。

動画URL:https://www.youtube.com/watch?v=vJpooOiYP1g



当動画は信楽駅から貴生川駅へ向かう上り電車(信楽駅→貴生川駅が上り、貴生川駅→信楽駅が下り)で、事故当日で言うと信楽高原鐵道側の電車の視点となる。

事故現場は紫香楽宮跡駅〜貴生川駅間で、上り電車から見ると紫香楽宮跡駅を出てすぐの場所で、両駅の間にある小野谷信号場(駅ではない。詳細・設置経緯は後述)へ向かう途中だった。

動画中の10分15秒直後(こちら)にある右カーブの場所、10分27秒あたり(こちら)で左側に見える白いテントのところがちょうど現場になった場所である。

右カーブがしばらく続くこの場所で、貴生川駅を出て小野谷信号場を通過し、対向からやってきたJR西日本の臨時乗り入れ電車と正面衝突した。

動画中の12分57秒(こちら)と13分25秒あたり(こちら)の左側に見える白いバツ印のテープが貼られているのが印象的な信号機が上り電車用の小野谷信号場の信号機で、13分30秒の左側に見える白い小さな建屋が同信号場の設備室?、13分35秒(こちら)が小野谷信号場である。

事故当時について記載しておくと、1991年4月20日から5月26日の予定で「世界陶芸祭セラミックワールドしがらき’91」(詳しくはこちら)というイベントが開催されており、信楽高原鐵道が主な輸送交通機関として大きく貢献していた。

しかしこの事故により鉄道は全線で約7ヶ月間完全運休(12月7日運転再開)となり、イベントも5月15日〜26日の開催は中止され、12日間を残して終了となった。

事故発生は午前10時35分頃で、上りの信楽高原鐵道のSKR200形車両4両編成(列車番号:534D 信楽駅10時14分発、各駅停車貴生川行き)と下りのJR西日本のキハ58系車両3両編成(列車番号:501D 京都駅9時25分発、臨時快速「世界陶芸祭しがらき号」信楽行き 停車駅:京都・大津・草津・三雲・貴生川・信楽)が紫香楽宮跡駅〜小野谷信号場間の単線区間上で出会い頭に正面衝突した。

この日は陶芸イベント開催期間中であることに加え、祝日であることも重なり電車内は大混雑。

午前中だったため、貴生川駅から陶芸イベント会場の最寄り駅である信楽駅へ向かう下り電車(JR西日本の車両)が特に大混雑していた。

JR西日本の車両は陶芸イベントに合わせた臨時乗り入れ電車で京都駅発、京都駅から草津駅までは東海道本線・琵琶湖線、草津駅から貴生川駅までは草津線を走り、貴生川駅からは信楽高原鐵道へ乗り入れ、信楽駅へ至る予定だった。

この電車は、書籍「信楽高原鐵道事故」著者「網谷りょう氏」出版社「日本経済評論社」にて、契約上は2両編成だったが始発の京都駅の時点で既に満員となったため、信楽高原鐵道とJR西日本間で協議して1両増やして3両編成になったと記載があった。

陶芸イベント開催以前の信楽高原鐵道は全線単線で、JR西日本からの電車の乗り入れもなく、1時間に1本程度の頻度で貴生川駅から信楽駅まで自社線を行き来するだけのシンプルな運行形態の路線だった。

陶芸イベント開催に伴い、自治体など主催陣営から協力要請があり電車を増発することになったが(さらにJR西日本からの臨時直通電車も加えることになった)、現状の全線単線では対応できないため、途中の区間で上下線の電車がすれ違いできるポイントの建設が必要となった。

このポイントが貴生川駅〜紫香楽宮跡駅間に設置された「小野谷信号場」である。

事故後、陶芸イベントが無くなったことで電車増発の必要性がなくなり、他にもイベントは皆無だったため同信号場とそれに関連する信号機は使用休止となった。

後に(時期は不明)信号機は完全に横に向けられ、2018年に同信号場の廃止届が出されるまで、一度も使われることなく分岐ポイントやレールも含めて約27年も残った。

結局、同信号場はイベント開催の前月の1991年3月16日(前述の書籍)から事故当日(同年5月14日)の約2ヶ月間使われただけである。

この書籍にはさらに詳しいことが書かれていた。

*信楽高原鐵道からJR西日本へ乗り入れを正式に要請したのが1990年3月。

*信楽高原鐵道から近畿運輸局へ信号場の開設とこれに伴う運転方式変更の申請をしたのが1990年5月で、同年8月に認可を得た。

*信号関連工事の着手は1990年8月で、小野谷信号場の建設工事着手は1990年10月。

*小野谷信号場の工事業者は、貴生川駅構内がJR西日本の管轄のため貴生川駅〜小野谷信号場間をJR西日本へ委託し、「西日本電気システム」が担当。小野谷信号場〜信楽駅間までは信楽高原鐵道が手配し、近江鉄道系列の「信栄電業」が担当した。

*これら工事費はJR西日本へ委託した部分も含め、全て信楽高原鐵道側の負担で総工費は約2億円。

*1991年3月16日より、これまでの票券閉塞方式から単線特殊自動閉塞方式で運行を開始。同日、ダイヤ改正を実施した。

2025年1月23日木曜日

2005年大阪地下鉄千日前線の駅ホームに新型行き先案内が設置された当時の話【鉄道・思い出話】

記事公開日:2025年01月23日(木)


2005年1月、大阪の地下鉄千日前線の駅ホームに新しいタイプの電車行き先案内(以下、発車標とする)が設置された。

今回は、その当時の思い出話を書こうと思う。

新設の発車標は、大型のカラー液晶ディスプレイ式で、電車が接近した際には文字に合わせて電車のアニメーションも表示されるという、当時としては大変斬新なものだった。

電車の接近・発車、運行支障時の案内、その他注意喚起やお知らせを日本語・英語だけでなく中国語や韓国・朝鮮語でも案内し、多言語化にも対応させた。

その頃、駅ホームの発車標に液晶ディスプレイを採用している鉄道事業者はまだほとんどなく、少なくとも日本の地下鉄では初の採用だったように思う。

どの鉄道事業者も、発車標を更新する際はLED式(発光ダイオードで電光掲示板と呼ばれることも多い。オレンジ・赤・緑の3色タイプと、白色や青色表示も可能なフルカラータイプがあった)を採用することがほとんどだった。

行灯式(行灯はあんどんと読む。予めパネルに印字した文字に蛍光灯や電球を充てて浮かび上がらせる方式)や反転フラップ式(パタパタめくれるタイプでパタパタ式と呼ぶ人もいる)など旧式タイプの発車標からLED式に更新という流れ。

大阪の地下鉄(ニュートラムを含む)では8路線(今里筋線はまだ開業前)あるうち、御堂筋線・谷町線・四つ橋線・堺筋線・長堀鶴見緑地線の5路線が3色LED式、中央線・千日前線の2路線が行灯式、ニュートラム(南港ポートタウン線)がLED式(1部の駅のみ)と反転フラップ式を採用していた。

他の鉄道事業者も含め、特に都心部の主要路線はLED式を採用しているところが多かった。

行灯式や反転フラップ式は予め印字された文字しか表示できないため、電車の運行に支障・遅延が出た時やお知らせ事項があった時などに迅速な対応ができず、その都度駅構内アナウンスや掲示物で補足案内を行うしかなかった。

一方LED式は操作端末の設定で自由に文字入力・編集作業ができるため、迅速な情報提供が可能でシステム改修次第では表示内容の変更や機能の拡張も可能だ。

そのため行灯式だった千日前線は旧式感が否めなかった。

てっきり主流だったLED式に更新されると思っていたが、3色LEDやフルカラーLEDどころか、一気に大型のカラー液晶ディスプレイへ更新されたため、飛躍感がすごく驚いた。

他社での採用実績もほとんど無かったため、非常に注目されたことを覚えている。

しかしLED式に比べて耐久性は大丈夫なのだろうか?すぐに画面の焼き付け(同じような表示内容を長時間している場合に画面に痕が残ってしまう症状。パソコンにスクリーンセーバーがあるのはこれを防止するため)が起こるのではないか?と正直思った。

もう20年も前のことなので、時効だと思うので書かせていただくが・・・。

実は2004年頃だったか、ある匿名掲示板(どこかは失念)に「千日前線の発車標が近々更新される予定。」というような書き込みがあり、千日前線の各駅で更新工事が開始された後の段階で情報を得ていた。

続けて「LED式ではない。今までと違って斬新なものになる。」とあった。

当時の大阪の地下鉄はまだ民営化される前(民営化により大阪メトロとなったのは2018年4月1日)で、公営企業(大阪市交通局という大阪市役所の1組織)だったため、大阪市役所の入札情報サイトで大阪市交通局を選択すると、一般人でも年間の工事予定の案件(入札前の段階で確認できる)や、入札・落札情報(入札前→入札経過状況→落札後まで閲覧できる)などが一覧で見ることができた(民営化されてからは案件情報の公開は一切なくなった)。

これにより、一般人でもある程度の予定を事前に知ることは可能だった。

例えば年間の工事調達予定の一覧に「大阪市高速電気軌道第5号線旅客案内表示装置製造更新・据付工事」などの記載があると、千日前線の発車標が近い将来製造されて更新・設置工事をする・・・といったことくらいはわかる。

大阪市高速電気軌道というのは大阪市営地下鉄(当時)のことで、第5号線は5番目の路線という意味。

大阪市の地下鉄で5番目の路線は千日前線を指し、旅客案内表示装置は駅ホーム部の発車標を意味する。

大阪市交通局では、それぞれ手続きや書類上ではそのように表記していた。

当時の私はまだ子供だったので疑わなかったが、掲示板に書き込んだ人物は発車標が更新される事自体は入札情報から知ることができても、中身の仕様のことまでどうして分かったのだろう?と今思えば・・・。

機密情報が含まれるため、今も昔も仕様書は大阪市の入札情報サイトに事前登録し、大阪市役所からの承認を受けている事業者しか閲覧できない仕組みになっている。

とすると掲示板に書き込んだ人物は・・・・これ以上は敢えて書かないでおくが、想像するに難しくはない。

恐らく掲示板に書き込んだ時点では、既に落札されており業者選定も完了、工事も着手している段階だったこと、「今までと違って斬新なものになる」とは書いたが具体的な仕様を書いたわけではないため、大して影響はないと思ったのだろう。

鉄道ファンへの厚意のつもりもあったのかもしれない(その人物自身も鉄道好きだったのかもしれない)。

この情報を得て以降、千日前線の一部の駅を見て回った(どの駅だったかは失念)。

2004年秋頃から年末くらい?にかけて、ホーム天井部の一部のパネルが取り外され、既設の発車標に近い場所で配線工事を行っている駅が数駅あった。

パネルが取り外された天井部は半透明のパネルで塞がれ、仮設天井になっていた。

この仮設のパネルの部分から、銀色の細い鉄状の棒が2本突き出ている駅もあった。

この棒は後に発車標取り付けに不可欠な支柱で、天井ボード裏に入ってコンクリート部の天井にしっかり固定されているものだとわかった。

比較的工事が進んでいたのは日本橋駅で、既に機器らしきものが設置され黒いビニールシートで覆われていた。

小さい正方形型で、当時の行灯式発車標の半分くらいの大きさしかなかったので、発車標にしては少し小さすぎではないか?と思ったのを覚えている。

後にこれは液晶ディスプレイを取り付けるための土台+ディスプレイの電源・入出力装置等が格納された筐体(仕様は不明だがパソコン本体のようなものも格納されているかもしれない)だとわかった。

その時点ではまだ液晶ディスプレイ本体は設置されていなかったのである。

この状態で年が明けて2005年、新たに掲示板に「新発車標1番手は野田阪神駅になる。今度の土・日あたり。」との具体的な情報が書き込まれていた。

妙に覚えていて、確かに1月の土曜・日曜のどちらかだったと思うが、情報をもとに野田阪神駅に向かった。

当時のカレンダーを確認すると、2005年最初の土・日は1月1日・2日。

さすがにこの日はないので、1月8日・9日あたりだっただろう。

午前中(早朝ではなかったと思う)に野田阪神駅に着くと、確かに新しい発車標が設置され既に稼働していた。

30インチ以上ある大型の液晶ディスプレイで、他鉄道事業者も含めて今までにないくらい大きな文字で行き先が表示され、アナログ表示の時計も発車標内に集約されたのが印象的だった。

発車標の真下には黄色のヘルメットを着用した関係者らしき人が5・6名くらいおり(恐らく交通局職員・メーカー・施工業者だろう)、書類を片手に発車標を見上げながら打ち合わせをしている様子だった。

「点滅速度がちょっと遅くないか?」といった声が聞こえてきたので、安定稼働しているかの確認作業をしていたのだと思われる。

電車の接近状況を示す「⇨ 玉川 ⇨ 野田阪神」の表示。

電車の走行位置を「➡ 玉川 ⇨ 野田阪神」や「 玉川 ⇨ 野田阪神」という感じで反転・点滅させ、駅への接近状況を知らせる仕組みになっている。

この点滅速度、通常は約1秒間隔なのだが2秒間隔くらいになっていて確かに遅かったので、このことを言っていたのだと思われる。

即設定変更が行われたのだと思うが、その後は1秒間隔になっていた。

もしかしたら、稼働初日の一部時間帯だけ見られた貴重な場面だったのかもしれない。

現代のようにモバイルで簡単に動画撮影できるような時代ではなかったため(動画撮影自体は当時の携帯電話でもできたと思うが、本体のメモリ容量が低容量のため動画が保存できる余裕がなかったと思われる。スマートフォンはまだなかった)、撮影記録していなかったことが悔やまれる。

あと稼働当初は行き先の字体も少し異なっており、「南巽(みなみたつみ) ゆき」の「巽」の字の上の部分が「己己」になっていたが、後に「巳巳」に改められた。

なお、パソコン等で文字入力する際は「たつみ」で漢字変換すると、「巳巳」ではなく「己己」の方の「巽」に変換される。

運行情報やお知らせ等を表示するメッセージ欄はまだ稼働しておらず、これは2006年12月24日の今里筋線開業当日から表示されるようになった。

発車標の稼働開始(2005年1月)からメッセージ欄の運用開始まで2年弱かかったことになるが、恐らく運行管理システム等の改修が必要になるため、改修作業を今里筋線開業のタイミングに集約させて作業面だけでなく費用面でも効率化させたのだろう。

当時の大阪の地下鉄は運行支障時の指揮系統・対応の迅速化を目的に、路線ごとにバラバラだった運行指令所を段階的に統合させている時期でもあった。

千日前線全駅で発車標の更新完了後、ホーム天井部に設置の時計と時刻表は段階的に撤去された。

時計は前述の通り、発車標に集約されたため不要になった。

時刻表は出口や構内図と同様のスタンドタイプに変更され、文字サイズも大幅に拡大されて見やすいものとなった。

その後、一度(2017年頃?)は液晶ディスプレイのバックライトが交換されている。

液晶ディスプレイ自体の交換を行ったかはわからないが、Osaka-Subway氏のXの情報によると、千日前線阿波座駅の一部のみ「JAPANNEXT」社の液晶ディスプレイに交換されているとのこと(具体的な時期は不明)。

千日前線の他の発車標と異なるのは、ディスプレイが薄型化されており、縁の部分が細くなっている。



千日前線の更新後に液晶ディスプレイ型の発車標が設置された今里筋線(2006年12月)と中央線(2007年2月)は、それぞれ2019年8月と2020年3月に液晶ディスプレイごと交換されており、設置後12年~13年経過後に更新している。

このことから、この2路線より設置年数が古い千日前線も、一度は液晶ディスプレイが交換されていてもおかしくないだろう。