記事公開日:2025年09月07日(日)
今回ご紹介する動画は、1991年5月14日に発生し、42名の死者と600名以上(報道機関によってバラツキがある)の重軽傷者を出した信楽高原鐵道列車衝突事故(詳しくはこちら)から復旧直後に撮影された貴重な映像である(1992年撮影とあるが、運転再開が1991年の年末だったため復旧からそう遠くない時期に撮影されたと思われる)。
動画URL:https://www.youtube.com/watch?v=vJpooOiYP1g
当動画は信楽駅から貴生川駅へ向かう上り電車(信楽駅→貴生川駅が上り、貴生川駅→信楽駅が下り)で、事故当日で言うと信楽高原鐵道側の電車の視点となる。
事故現場は紫香楽宮跡駅〜小野谷信号場〜貴生川駅間で、上り電車から見ると紫香楽宮跡駅を出て小野谷信号場・貴生川駅へ向かうすぐの場所。
動画中の10分15秒直後(こちら)にある右カーブの場所、10分27秒あたり(こちら)で左側に見える白いテントのところがちょうど現場になった場所である。
右カーブがしばらく続くこの場所で、貴生川駅を出て小野谷信号場を通過し、対向からやってきたJR西日本の臨時乗り入れ電車と正面衝突した。
動画中の12分57秒(こちら)と13分25秒あたり(こちら)の左側に見える白いバツ印のテープが貼られているのが印象的な信号機が上り電車用の小野谷信号場の信号機で、13分30秒の左側に見える白い小さな建屋が同信号場の設備室?、13分35秒(こちら)が小野谷信号場である。
事故当時について記載しておくと、1991年4月20日から5月26日の予定で「世界陶芸祭セラミックワールドしがらき’91」(詳しくはこちら)というイベントが開催されており、信楽高原鐵道が主な輸送交通機関として大きく貢献していた。
しかしこの事故により鉄道は全線で約7ヶ月間完全運休(12月7日運転再開)となり、イベントも5月15日〜26日の開催は中止され、12日間を残して終了となった。
事故発生は午前10時35分頃で、上りの信楽高原鐵道のSKR200形車両4両編成(列車番号:534D 信楽駅10時14分発、各駅停車貴生川行き)と下りのJR西日本のキハ58系車両3両編成(列車番号:501D 京都駅9時25分発、臨時快速「世界陶芸祭しがらき号」信楽行き 停車駅:京都・大津・草津・三雲・貴生川・信楽)が紫香楽宮跡駅〜小野谷信号場間の単線区間上で出会い頭に正面衝突した。
この日は陶芸イベント開催期間中であることに加え、祝日であることも重なり電車内は大混雑。
午前中だったため、貴生川駅から陶芸イベント会場の最寄り駅である信楽駅へ向かう下り電車(JR西日本の車両)が特に大混雑していた。
JR西日本の車両は陶芸イベントに合わせた臨時乗り入れ電車で京都駅発、京都駅から草津駅までは東海道本線・琵琶湖線、草津駅から貴生川駅までは草津線を走り、貴生川駅からは信楽高原鐵道へ乗り入れ、信楽駅へ至る予定だった。
この電車は、書籍「信楽高原鐵道事故」著者「網谷りょう氏」出版社「日本経済評論社」にて、契約上は2両編成だったが始発の京都駅の時点で既に満員となったため、信楽高原鐵道とJR西日本間で協議して1両増やして3両編成になったと記載があった。
陶芸イベント開催以前の信楽高原鐵道は全線単線で、JR西日本からの電車の乗り入れもなく、1時間に1本程度の頻度で貴生川駅から信楽駅まで自社線を行き来するだけのシンプルな運行形態の路線だった。
陶芸イベント開催に伴い、自治体など主催陣営から協力要請があり電車を増発することになったが(さらにJR西日本からの臨時直通電車も加えることになった)、現状の全線単線では対応できないため、途中の区間で上下線の電車がすれ違いできるポイントの建設が必要となった。
このポイントが貴生川駅〜紫香楽宮跡駅間に設置された「小野谷信号場」である。
事故後、陶芸イベントが無くなったことで電車増発の必要性がなくなり、他にもイベントは皆無だったため同信号場とそれに関連する信号機は使用休止となった。
後に(時期は不明)信号機は完全に横に向けられ、2018年に同信号場の廃止届が出されるまで、一度も使われることなく分岐ポイントやレールも含めて約27年も残った。
結局、同信号場はイベント開催の前月の1991年3月16日(前述の書籍)から事故当日(同年5月14日)の約2ヶ月間使われただけである。
この書籍にはさらに詳しいことが書かれていた。
*信楽高原鐵道からJR西日本へ乗り入れを正式に要請したのが1990年3月。
*信楽高原鐵道から近畿運輸局へ信号場の開設とこれに伴う運転方式変更の申請をしたのが1990年5月で、同年8月に認可を得た。
*信号関連工事の着手は1990年8月で、小野谷信号場の建設工事着手は1990年10月。
*小野谷信号場の工事業者は、貴生川駅構内がJR西日本の管轄のため貴生川駅〜小野谷信号場間をJR西日本へ委託し、「西日本電気システム」が担当。小野谷信号場〜信楽駅間までは信楽高原鐵道が手配し、近江鉄道系列の「信栄電業」が担当した。
*これら工事費はJR西日本へ委託した部分も含め、全て信楽高原鐵道側の負担で総工費は約2億円。
*1991年3月16日より、これまでの票券閉塞方式から単線特殊自動閉塞方式で運行を開始。同日、ダイヤ改正を実施した。
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