2021年3月11日木曜日

【日記】東日本大震災の当日何をしていたか

記事公開日:2021年03月11日(木)


東日本大震災の当日(2011年3月11日)、地震発生の瞬間どこで何をしていたか。

ツイッターを見ると、10年という節目の年ということもあるのか、皆さんそれぞれ当日の状況をツイートしているのが目立った。

私も書いてみようと思う。

地震発生の瞬間、私は現在と同じ大阪の自宅にいた。

当時はまだ学生だった。

地震発生時刻は14時46分で、普段なら学校で授業を受けている時間。

ただこの時期は3学期も末に近づいており、学期末と学年末を兼ねた重要なテストがある時期だった。

そのテストが終わった後だったか、これからテストだったのかは忘れたが、それ関連で学校が午前中だけだったということは覚えている。

テレビを付けながら部屋の掃除と整理をしていた。

↑あ、部屋の片付けということはテストの最中だったかも!!(部屋の整理とかテスト期間中あるあるなので)

まだまだ気温は低かったと思うが、窓を全開にして作業をしていた。

気象庁のホームページで調べると、この日の大阪の最低気温は2.5℃で最高気温は10.1℃。

10分ごとの観測気温を見てみると、14時40分に7.2℃、同50分に7.3℃。

地震はこの時間の間に発生しているので、約7℃少しというところ。

今思えば、この気温でよく窓全開で作業していたなぁと思う。

身体を動かしていたため温まっていたのだろうか?何しか寒かった記憶はない。

地震発生は14時46分だが、大阪が揺れ始めたのは数分後だろう。

正確な時間までは覚えていない。

最初はまったく揺れていることに気付かなかった。

これも身体を動かしていたからだろう。

そのうち窓がガタガタと音を立て始めたが、まだ揺れている感覚はなく地震と気付かず・・・。

我が家は風通しが良く、風が強い日なんかは窓がガタガタ音を立てるのは珍しくなかった。

しかし何となく天井を見上げると、壁掛けの額縁などが揺れていた。

今日は特別風が強いんだなぁ・・・と思っていた時、隣の部屋にいた弟が「兄ちゃん、何か家揺れてない?」と。

あ、地震で揺れているのか!!

そこで初めて地震だとわかった。

そう言えば、ずっと窓全開だったがガタガタ音を立てた始めたのはつい数分前。

額縁が揺れ始めたのもそれと同じくらいだった。

それに、いくら風が強いにしても全く風が当たっていない場所にある物まで揺れるのはおかしい・・・。

ところで、テレビを付けていたのに地震に気付かなかったのは何故か?

作業に集中していてテレビなんて横目ですら見ていなかったのと、音量もかなり小さめにしていた上、窓が全開だったため外の音にかき消されていたのだ。

慌てて音量を上げた。

チャンネルは情報ライブミヤネ屋(日本テレビ系で大阪の読売テレビ制作の全国放送)になっていた。

その頃には既に画面上部に「地震速報」の字幕が出ており、各地の震度が伝えられている段階だった。

第1報の時点で宮城県で震度7と出ていた。

大阪はまだ揺れている最中なのに、もう各地の震度が出ているのか?どんだけ情報が速いんだ!

後に東北の揺れが大阪に伝わるまでの時間差(2~3分くらい?)だと分かった。

もしかしたら大阪が揺れ始めた頃、東北は既に揺れが治まっていたのかもしれない。

間もなく大津波警報と津波警報が日本のほぼ全域に出て、それからはずっとテレビに釘付けだった。

阪神淡路大震災を知る立場から言うと、震度6以上の地震で被害が無いことはまずない。

残念ながら、あちこちから続々と地震の被害の情報が入ってきていた。

この時点ではまだ地震の(揺れによる)被害の情報だ。

東京都内でも建物が崩れ、下敷きになった人と怪我人が複数出ているとか(後に九段会館で実施されていた学校の卒業式に参加していた人たちだと分かる)。

震度5強の東京でもこの被害ということは、震度6弱~7の東北地方はどれだけの被害が出ているか・・・考えるだけでゾッとした。

この時点では津波の被害が地震の揺れによる被害を上回るどころか、津波で被害が出るなんて思ってもいなかった。

地震の揺れから約1時間後、テレビは津波の情報や津波に飲み込まれていく東北各地の様子を伝えるようになっていた。

地震の揺れによる被害の情報はどこへ?それどころではない事態だったのだ。

地震の揺れによる被害はもう起きてしまったことだが、津波の被害は現在進行系でこれから被害を受ける可能性のある地域もあった。

津波の情報に特化して伝えるのは当然だった。

そこから各テレビ局は緊急特別体制で、CM時以外は途切れることなく地震と津波の情報を伝えた。

私も深夜までずっとテレビを見ていた。

翌日は土曜日で学校もなく、特に予定もなかったので朝から親戚の家に行き、そこでもずっとテレビを見ていた。

津波の次は福島県内にある東京電力の原子力発電所で何か起こっているようだという感じで、各テレビ局が伝え始めていた。

ただ危機的な状況というよりかは、何か色々動きがあるようだという感じ。

日本は今後、どうなってしまうのだろうか・・・子供ながらに胸騒ぎしたのを覚えている。

その後、確か「Newton(ニュートン)」という科学雑誌だったと思うが、地震と原発の特集の本を何冊か買って読んだ。

以上、記憶に残っていることだけを書かせていただいた。

最後まで読んでくださった方、いつも有難う!

0 件のコメント:

コメントを投稿