2025年7月7日月曜日

【随時追加・更新】大阪府の毎年の夏日・真夏日・猛暑日・熱帯夜の日数移り変わり

記事公開日:2025年07月04日(金)
最終更新日:2025年07月07日(月)


本記事は、随時追加・更新していく予定。

1883年1月1日から観測・記録されている気象データをもとに、各年の大阪府(大阪管区気象台)の夏日・真夏日・猛暑日・熱帯夜の日数の移り変わりをまとめてみた。

なお現在の大阪管区気象台の観測地点は大阪府大阪市中央区大手前だが、過去に複数回移転しているので(観測地点の移り変わりは こちら に詳細あり)、各年ごとに観測場所を記載する。

夏日:最高気温が25℃以上30℃未満の日
真夏日:最高気温が30℃以上35℃未満の日
猛暑日:最高気温が35℃以上の日
熱帯夜:最低気温が25℃以上の日


【2024年】
*観測地点は大阪府大阪市中央区大手前4丁目1番76号 大阪合同庁舎第4号館。
夏日:70日(初の夏日は4月12日・最後の夏日は10月27日)
連続夏日以上:115日(6月10日~10月2日)
真夏日:54日(初の真夏日は6月8日・最後の真夏日は10月7日)
連続真夏日以上:45日(7月15日~8月28日)
猛暑日:41日(初の猛暑日は7月5日・最後の猛暑日は9月16日)
連続猛暑日:9日(8月1日〜9日)
熱帯夜:72日(初の熱帯夜は7月3日・最後の熱帯夜は9月21日)
連続熱帯夜:34日(7月17日~8月19日)
1日平均気温が夏日:52日(初の夏日は6月12日・最後の夏日は10月18日)
1日平均気温が連続夏日以上:72日(7月13日〜9月22日)
1日平均気温が真夏日:54日(初の真夏日は7月5日・最後の真夏日は9月21日)
1日平均気温が連続真夏日以上:29日(7月18日〜8月15日)
最も高かった最高気温:38.3℃(8月4日)
最も高かった最低気温:29.3℃(7月30日)
最も高かった1日平均気温:32.2℃(7月28日・8月2日)

【2023年】
*観測地点は大阪府大阪市中央区大手前4丁目1番76号 大阪合同庁舎第4号館。
夏日:59日(初の夏日は3月22日・最後の夏日は11月6日)
連続夏日以上:104日(6月23日~10月4日)
真夏日:65日(初の真夏日は5月17日・最後の真夏日は9月30日)
連続真夏日以上:44日(7月2日~8月14日)
猛暑日:27日(初の猛暑日は7月17日・最後の猛暑日は9月3日)
連続猛暑日:8日(7月30日〜8月6日)
熱帯夜:61日(初の熱帯夜は7月8日・最後の熱帯夜は9月28日)
連続熱帯夜:33日(7月22日~8月23日)
1日平均気温が夏日:68日(初の夏日は6月17日・最後の夏日は9月30日)
1日平均気温が連続夏日以上:83日(7月2日〜9月22日)
1日平均気温が真夏日:31日(初の真夏日は7月15日・最後の真夏日は9月4日)
1日平均気温が連続真夏日以上:13日(7月25日〜8月6日)
最も高かった最高気温:38.6℃(8月13日)
最も高かった最低気温:28.6℃(8月4日)
最も高かった1日平均気温:31.9℃(8月10日)

【1886年・観測開始4年目】
*観測地点は大阪市西区江の子島警察本部内。
夏日:60日(初の夏日は5月13日・最後の夏日は10月18日)
連続夏日以上:77日(7月1日~9月15日)
真夏日:64日(初の真夏日は6月20日・最後の真夏日は9月19日)
連続真夏日以上:43日(7月9日~8月20日)
猛暑日:2日(初の猛暑日は7月17日・最後の猛暑日は8月18日)
連続猛暑日:0日
熱帯夜:12日(初の熱帯夜は7月14日・最後の熱帯夜は8月20日)
連続熱帯夜:4日(8月2日~5日)
1日平均気温が夏日:71日(初の夏日は6月27日・最後の夏日は9月18日)
1日平均気温が連続夏日以上:56日(7月7日〜8月31日)
1日平均気温が真夏日:0日
最も高かった最高気温:35.8℃(7月17日)
最も高かった最低気温:26.3℃(7月14日)
最も高かった1日平均気温:29.6℃(7月15日・8月18日)

【1885年・観測開始3年目】
*観測地点は大阪市西区江の子島警察本部内。
夏日:54日(初の夏日は5月8日・最後の夏日は10月13日)
連続夏日以上:71日(7月11日~9月19日)
真夏日:63日(初の真夏日は6月24日・最後の真夏日は9月17日)
連続真夏日以上:43日(8月6日~9月17日)
猛暑日:0日
熱帯夜:8日(初の熱帯夜は7月21日・最後の熱帯夜は8月31日)
連続熱帯夜:3日(8月22日~24日、8月29日~31日)
1日平均気温が夏日:69日(初の夏日は6月21日・最後の夏日は9月17日)
1日平均気温が連続夏日以上:61日(7月19日〜9月17日)
1日平均気温が真夏日:0日
最も高かった最高気温:34.8℃(8月20日)
最も高かった最低気温:25.4℃(8月31日)
最も高かった1日平均気温:28.3℃(8月10日・28日)

【1884年・観測開始2年目】
*観測地点は1月1日〜8月30日まで大阪市北区堂島梅田橋南詰、8月31日〜12月31日まで大阪市西区江の子島警察本部内。
夏日:62日(初の夏日は5月18日・最後の夏日は10月14日)
連続夏日以上:33日(8月19日~9月20日)
真夏日:46日(初の真夏日は7月8日・最後の真夏日は9月17日)
連続真夏日以上:23日(7月20日~8月11日)
猛暑日:0日
熱帯夜:1日(7月27日のみ)
1日平均気温が夏日:51日(初の夏日は6月22日・最後の夏日は9月17日)
1日平均気温が連続夏日以上:28日(7月19日〜8月15日)
1日平均気温が真夏日:0日
最も高かった最高気温:34℃(8月3日)
最も高かった最低気温:25.4℃(7月27日)
最も高かった1日平均気温:28.3℃(7月25日)

【1883年・観測開始初年】
*観測地点は大阪市北区堂島梅田橋南詰。
夏日:55日(初の夏日は5月20日・最後の夏日は10月14日)
連続夏日以上:82日(7月3日~9月22日)
真夏日:61日(初の真夏日は7月11日・最後の真夏日は9月18日)
連続真夏日以上:48日(7月11日~8月27日)
猛暑日:3日(初の猛暑日は7月26日・最後の猛暑日は8月17日)
連続猛暑日:0日
熱帯夜:5日(初の熱帯夜は7月23日・最後の熱帯夜は8月15日)
連続熱帯夜:2日(7月23日~24日、7月28日~29日)
1日平均気温が夏日:58日(初の夏日は6月19日・最後の夏日は9月12日)
1日平均気温が連続夏日以上:45日(7月13日〜8月26日)
1日平均気温が真夏日:0日
最も高かった最高気温:35.6℃(7月26日)
最も高かった最低気温:26.4℃(7月24日)
最も高かった1日平均気温:29.2℃(7月24日・27日)

気象庁大阪管区気象台の観測地点の移り変わり【気象】

記事公開日:2025年07月06日(日)
最終更新日:2025年07月07日(月)


気象庁大阪管区気象台の観測地点の移り変わり。

現在の観測地点は大阪府大阪市中央区大手前だが、1883年1月1日の観測開始以来、6回移転している。

以下住所は、いずれも設置当時のものである。


【初代観測所】
大阪府大阪市北区堂島梅田橋南詰
1882年7月1日:
大阪測候所(大阪府立測候所)設立。
1883年1月1日:正式に観測を開始。
1884年8月30日:この地点での観測を終了。

【2代目観測所】
大阪府大阪市西区江の子島警察本部内
1884年8月31日:
1回目の移転。この地点での観測を開始。
1888年4月1日:「大阪測候所(大阪府立測候所)」から「大阪府立一等測候所」へ改称。
1890年9月30日:この地点での観測を終了。

【3代目観測所】
大阪府大阪市北区堂島浜通2丁目12番地
1890年10月1日:
2回目の移転。この地点での観測を開始。
1909年7月31日:大阪市北区で発生した大火災「北の大火」により本館と地震計室を消失。観測露場と所長官舎は類焼を免れる。
1909年8月1日:被害を免れた所長官舎を仮庁舎として観測を再開。
1910年8月31日:この地点での観測を終了。

【4代目観測所】
大阪府大阪市西区一条通2丁目6番地(このエリアの西区は1925年に港区へ分区)
1910年9月1日:
3回目の移転(3代目観測所の再建)。この地点での観測を開始。
1918年9月4日:「中央気象台臨時大阪出張所」が大阪市北区梅田町2787番地(日本通運会社の階上の一室)に設置される。
1919年5月15日:「大阪府立一等測候所」から「大阪府立大阪測候所」へ改称。
1919年10月25日:「中央気象台臨時大阪出張所」が神戸市中山手通の神戸測候所構内に移転し「中央気象台臨時神戸出張所」となる。
1930年8月25日:「中央気象台大阪支台」が大阪市港区鶴浜通2丁目(現:大阪市大正区鶴町付近)に設置。「中央気象台大阪支台」と「大阪府立大阪測候所」が併設となり、それぞれが予報を発表。
1933年6月30日:この地点での観測を終了。

【5代目観測所】
大阪府大阪市東成区勝山通9丁目72番地(このエリアの東成区は1943年4月1日に生野区へ分区)
1933年7月1日:
4回目の移転。この地点での観測を開始。
1934年9月21日:室戸台風により「中央気象台大阪支台」と「大阪府立大阪測候所」共に被災。「中央気象台大阪支台」は庁舎が流出し、「大阪府立大阪測候所」は庁舎は残ったが無線鉄塔が倒壊。
1934年11月26日:「中央気象台大阪支台」が敷地内(大阪市港区鶴浜通2丁目)に木造2階建ての庁舎を再建し業務を開始。
1935年4月6日:「大阪府立大阪測候所」の倒壊した鉄塔が竣工し更新。
1936年2月4日:「中央気象台大阪支台」が「大阪府立大阪測候所」敷地内に鉄筋コンクリート造平屋建ての庁舎を建設。
1936年6月1日:「中央気象台大阪支台」が「大阪府立大阪測候所」と同じ敷地内で業務を開始。
1938年7月14日:「大阪府立大阪測候所」が廃止となり、「中央気象台大阪支台」が業務を引き継ぎ事実上の統合。大阪府は1882年から約56年にわたって行ってきた気象観測事業を終了。
1939年11月1日:「中央気象台大阪支台」が「大阪管区気象台」へ改称。
1968年7月31日:この地点での観測を終了。

【6代目観測所】
大阪府大阪市東区法円坂町6番地25 大阪合同庁舎第2号館(東区は1989年2月13日に中央区に)
1968年8月1日:
5回目の移転。この地点での観測を開始。
1993年1月31日:この地点での観測を終了。

【7代目観測所】
大阪府大阪市中央区大手前4丁目1番76号 大阪合同庁舎第4号館
1993年2月1日:
6回目の移転。この地点での観測を開始。

2025年7月5日土曜日

嫌な夢?(2025年7月4日→5日)【日記】

記事公開日:2025年07月05日(土)


2025年7月4日から5日にかけて嫌な夢?を見た。

2025年7月5日に大災害が起こる・・・的なあの漫画に合わせたわけではない。

特別中身があった夢ではなかったが、非常にレアなケースだった。

自分の夢には大体見知らぬ人か、身近な人の場合は過去の夢にも何度か登場した人達ばかりが出てくることが多い。

ところが今回の夢は、身近なところにいる人達が登場したものの、みんな初登場の人達ばかりだった。

そこそこの年数交流している人達なので、いつ夢に登場しても不思議ではなかったが、今まで登場することはなかった。

そういう意味でもレアかも知れない。

登場人物は3名で、それぞれの人と自分との関係性をまとめた短編集のような夢だった。

今まで見た夢は内容は支離滅裂でも、複数の話が入り交じることはなく、大体1話完結系で最初から最後まで同じ登場人物という形が多かった。

同じ日の夢の中で複数話立て、しかも3本立て(一昔前のアニメ映画みたい)。

レアづくしだ。

1話目は仕事関係で長年交流のある人が登場した。

普段仕事以外でつながることはまずないし外で会うこともないが、私服を着ていたので恐らくプライベートな時間に会っている感じだろう。

ただひたすら談笑しながら散歩しているというものだった。

話の内容は全然記憶に残っていないため、大したやり取りではなかったと思われる。

どこかでご飯を食べようみたいな流れだったと思うが、飲食店へ向かう途中で話は途切れて終わってしまった。

2話目は会社が入居するビル関係で顔馴染みだった人が登場。

うちの会社が入居しているビルは、賃貸ではなく分譲なので各部屋の所有者が異なる。

その人は違うフロアの人だったが、ある1部屋の所有者だった。

見た感じ80歳前後のご老人という感じだろうか?

若い頃に独立し、その部屋で一人で自営業をされてきたが、高齢のため昨年引退を決め、長年所有してきた物件を手離した。

夢の中でもその内容は同じだったが続きがあった。

私:お久しぶりですね。確か去年ご退去されたのでは?まだ荷物が残っているのですか?

ご老人:ええ。もう高齢なんで昨年末をもって引退させてもらうことにしました。部屋は売却を予定していたのですがね。私の娘が部屋を使いたいって言うものですから、売却はやめて娘が使っているのですよ。それでたまに私も運動と気分転換でここに来る感じです。

この夢も何故か突然強制終了。

ちなみに娘さんが所有しているというのは夢の中だけの話で、実際は売却されて違う所有者の手に渡っている。

3話目は身近な親戚が登場。

この夢が少々気がかりで・・・。

その親戚はうちの家族の仕事を手伝ってくれていたこともあり、かなり身近な距離にいた人だった。

10年前に高齢で引退して以降は一度も会っていない。

引退前も含め、不思議と今まで夢に出てくることはなかった。

夢の中では終始ニコニコしていたが一切セリフがなかった。

地下鉄に乗ってどこかの駅で降り、地下街らしきところへ。

場所は地下街の雰囲気から、天王寺か梅田(大阪駅)周辺という感じだった。

その親戚は実際に仕事からの帰り道、そういった地下街を通っていたので帰宅途中という設定だったのだろう。

ただ自分の家は親戚とは全く方角が違うので、何故そこに自分がいたかは不明。

夕方の帰宅ラッシュ時だったのだろうか?地下街は大勢の人でごった返していた。

その人混みに揉まれ、途中で親戚を見失ってしまった。

まぁ明日もまた仕事で来るから会えるし別にいいか!という感覚だった。

親戚はかなりサバサバした人だから、あちらも同じ感じだろう。

さぁここからは自分の時間だ!せっかく繁華街に出てきたわけだし、ちょっと散策でもするか。

↑ 実際にこういう事態になった場合も同じような判断をするだろう。

目的地へ向かって歩き始めたが、親戚がいないかもう一度確認の意味も込めてだろうか?何となく後ろを振り返った自分。

地下街は相変わらず行き交う人達でいっぱいだったが、人混みの僅かな隙間から親戚が立っている姿が見えた。

あっ!いたっ!

少し離れた距離だったが表情は読み取れた。

ここでも親戚はずっとニコニコしていた。

不思議だったのが特に手招きや何かジェスチャーをするわけでもなく、ただこちらを見てニコニコして立っているだけ(親戚はサバサバした人なので、実際はこのような思わせぶりな態度は絶対に取らない)。

自分を待っているように見えたので、何だろうと思いつつ親戚のところへ向かった。

すると何か言うわけでもなく、またひたすら歩き始める親戚。

地下街の中にあるアクセサリーショップのようなところへ立ち寄り、2つ3つ商品を手に取って見ていたが、結局戻して買わずに退店(普段の親戚はこういう店には絶対入らない)。

その途中で目覚めて夢は強制終了した。

親戚は一体何がしたかったのだろうか?自分に何か訴えたい夢だったのだろうか?

3話目の冒頭で「この夢が少々気がかりで・・・」と書いたのは、自分の夢に出てくる人でセリフのない人は亡くなった人だからだ。

終始無言でニコニコしているだけというのがまた奇妙で嫌な予感がした。

高齢だし何かそういう系のお知らせというか、そろそろ・・・みたいな予知夢的なものなのかなぁと少し思った。

うちは親戚同士の交流が少なく、日頃から連絡はまずしていない。

あちらは家族が多いので余計に連絡しにくい。

10年というブランクもあるし、いきなり電話して「お元気ですか?」というのも変だし。

親戚には親が毎年年賀状を出しているが、向こうからはずっと本人ではなくその子供達から着ている。

メッセージも添えて書いてきてくれるが、親戚自身のことは一切触れられていない。

年賀状が来るということは喪中ではないと思うが・・・。

まぁ良い思い出ということにしておこう。